グチ、陰口、悪口が、まったく飛び交わない職場は、きっとないだろう。それほど日常茶飯事なネガティブなアイテムだ。

 だが、人の心の醜さを反映するこれらの習性も、視点を変えるだけで、ポジティブ思考に変わっていく。どうすればよいのか。

(内容・肩書は、2017年9月18日号掲載時のままです)

Q1.なぜ人は、延々とグチをこぼすのか?

グチをこぼすのって、なんだか後ろ向きでかっこ悪い、そう思ってませんか。でも、そんなことないんです。

グチをこぼすためには、自分の状況や問題を言葉にしなければいけません。もしどう言い表してよいのかまったくわからないのだとしたら、ただ途方に暮れるだけでしょう。ともあれ、言葉にする。これがだいじなんです。グチでも? ええ、グチをこぼすだけでも。

自分の置かれている状況言葉にする。そうしないと頭の中を整理できませんし、考えることもできません。それに、ここはやっぱり聞いてくれる相手がほしいですよね。それも、共感を持って聞いてくれる相手。反論してきたり説教してきたりする相手じゃなくて。

でも、ここには大きな危険性があります。言葉は現実の一側面を単純化して切り取るものです。例えば「物わかりが悪い人」といっても、いろんな物わかりの悪さがありますし、むしろ慎重に判断するタイプなのかもしれない。そこを「物わかりが悪い」と言い切ってしまう。それは、本当は現実そのものではなくて、現実の単純化された一側面にすぎないわけです。

単純化するから整理もできるのですが、それゆえの危険もある。「もう八方ふさがりだよ」とグチった途端に、その状況は「八方ふさがり」と決めつけられてしまいます。その言葉に縛られてしまうのですね。「板ばさみでまいっている」と言えば、突きつけられている二つの要求が相容れないものとして、固定されます。

だけど、現実というのは柔軟で、一言では捉えきれない細部に満ち、変化していくものです。その柔らかで可変的な細部にこそ解決の糸口があるかもしれないのに、単純に決めつけた言葉を口にしてその言葉に縛られてしまうと、解決の入り口を閉ざしてしまうことがあります。

本当は八方ふさがりじゃなくてどこかに隙間があるかもしれない。それを「八方ふさがり」と言い切ってしまうことで、その隙間を探そうという姿勢が断ち切られます。一方の言い分と他方の言い分にはどこか妥協できるラインがあるかもしれないのに、「板ばさみ」と言い切ってしまうことで、妥協の可能性に目が向かなくなってしまう。

でも、最初に言ったように、言葉にすることはだいじですし、必要です。言葉にしなければ、考えることもできません。じゃあ、どうすればいいのか。ポイントは二つ。

まず、自分の状況や問題をできるかぎり的確に表現することです。これは的確に状況を把握するということでもありますが、むしろいま強調したいのはそれを的確に言い表す表現力です。とはいっても、居酒屋でグチをこぼしているときに的確な表現力を発揮するのは難しいでしょうね。空気をこわしちゃうかもしれないし。でも、グチをこぼすときにも、いや、グチをこぼすときにこそ、なるべく的確に表現するようにしたいのです。状況や問題をいいかげんな言葉で言い表しても、道は開けません。

しかし、そんな表現力はすぐに身につくものでもありません。ぜひ言葉の力をパワーアップするよう努力を積んでほしいと思いますが、とりあえずすぐにやれることを考えましょう。それは、自分の言葉に呪縛されないこと。これが第二のポイントです。言葉はどうしたって単純で一面的になりがちだということを肝に銘じて、言葉をはみ出していく現実をしっかり見つめる。だから、グチをこぼすのもだいじだけれど、グチをこぼしたときに発した言葉に縛られすぎないことです。

これと正反対の態度が、自分の状況を言葉に言い表そうともしないし、現実を見つめようともしない態度です。そうなると、苦境に押しつぶされてしまうでしょう。上手にグチってください。

A1.自分の言葉に縛られないよう、的確な表現でグチる

野矢 茂樹(のや・しげき)
哲学者。東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『哲学な日々』など。