幸せな人生とは何なのか。高学歴、いい仕事、お金になり、たくさんの友人に恵まれている……。

それがごく一般的なイメージ。

でもそれで本当に幸福感は得られるのでしょうか。哲学者、禅僧が、日常に満ちている不条理の会費法をさらっと教えてくれます。

(内容・肩書は、2017年9月18日号掲載時のままです)

Q1.なぜ私は、スマホばかりやっているか?

最近、「SNSばかり眺めていると不幸せになる」と言われます。確かにSNSを見ると、「ハワイにきました」「うまいもん食ってます」みたいな投稿がぶわっと出てくる。それが全部本当なら、「どんな人生やねん!」て思いますよね。突っ込んでいるうちはいいけど、心が弱っているときに読めばうらやましくもなるし、傷つきもする。それでもスマホを手放すことができない背景には、孤独の問題、つまり人と繋がって孤独から抜け出したいという気持ちがあるのではないでしょうか。

しかし、果たして孤独はそんなに悪いものか。京大の山極総長は、「生物の一番自然な亡くなり方は餓死だ」とおっしゃいました。そういえば一休さんも白隠さんも、禅僧は昔から亡くなる間際に辞世の句を書いています。「もう食べたくない、飲みたくない」と言って、ロウソクの炎が消えるように、すーっと自然に人生を締めくくっています。

また、あるお医者さんにこんな話を聞きました。病院で亡くなった人より、誰にも看取られず孤独死された人のほうが安らかな表情をしていることが多いというのです。一人暮らしの老人が亡くなったら孤独死と騒がれます。しかし離れていても誰かの愛を感じながら亡くなったのであれば、幸せな死ではないでしょうか。反対に、病院に預けられっぱなしで臨終のときだけ家族が駆けつける、これは孤独死ではないのか。

孤独というのは心の問題だということです。誰かと心が繋がっていれば単独であっても孤独ではない。逆に心の繋がりがなければ、人と一緒にいても寂しい。SNSで得ている繋がりは、心の繋がりかどうか、考えてみてください。

A1.孤独から抜け出したい心の表れです

松山 大耕(まつやま・だいこう)
臨済宗妙心寺退蔵院副住職。東京大学大学院農学生命科学研究科修了。ダボス会議に出席するなど幅広く活躍。政府観光庁Visit Japan 大使も務める。