人は誰でもウソをつき、それを無意識のうちに隠しているという。
ではなぜ人はウソをつくのか。そのメカニズムと、ウソの見分け方を日本ビジネス心理学会の会長が解説する。
男と女。どちらがウソつきなのか
「ウソつきが多いか少ないかに男女の差はありません。言語コミュニケーションにウソはつきもの。男女を問わず、つかない人間はいない、と考えたほうが賢明です」
心理学者で『人はなぜウソをつくのか?』(毎日新聞社)の著書もある、立正大学名誉教授の齊藤勇氏はそう解説する。
人間がつくウソは、詐欺のように相手を騙して、損害を与えるものだけではない。たとえば、相手を傷つけないためにつくウソ、自分が悪く思われないためにつくウソもある。情報の取捨選択や、ちょっと話を盛る脚色まで含めれば、たしかに「ウソをつかない人間はいない」と言えそうだ。
上司への陰口でよくある「あの人は相手によって言うことが違う」もその一つ。ビジネス上の情報は、相手や状況に合わせて発信する内容が異なるのは当然。逆にTPOをわきまえずに本音ばかり口に出せば、“空気が読めない”という烙印を押されかねない。
「そういう日常のウソは、人間が社会的な生き物である証しと言えます。社会生活を円滑に営むために、ときにはウソも必要になる。代表的なものがお世辞やゴマスリ。そこには男女の違いが表れます。男性は“上下関係”、女性は“好き嫌い”がキーワードです」
女性たちに評判がよくないのは、男性が上司に対して露骨にゴマを擂ること。あまり有能でない上司にも、「いやぁ、さすが課長!」などと露骨におべんちゃらを言うタイプは男性社員に多い。そんな歯の浮くようなお世辞でも、言われた上司のほうはご満悦になるものだ。部下が本当に上司を尊敬していればウソではないが、ゴマスリ上手の部下は内心で上司を嫌い、馬鹿にしていることも多い。そのギャップが見える場合には女性たちから不評を買ってしまうことになる。
また、同じ場所に社長、部長、課長がいれば、立場が上の人ほどより多くのゴマを擂られる。その人が本当に有能かどうかや、その人のことが本当に好きか嫌いかはほとんど関係ない。あくまでポジションの問題だ。
「男性は上下関係に敏感だというのがポイントです。サルなどの群れで生きる動物を見ても、オスは競争社会で優劣が明確になります。その序列によって生殖の機会や食べ物の量が違ってくる。人間も基本的には同じなので、狩猟採集の時代から男性は競争社会を生きて、序列があったのでしょう。上下関係に敏感なのは、長い年月をかけて培った意識の働きです」
人類が狩猟採集の生活を始めたのはおよそ600万年前。日本人が農耕を始めるのは約3000年前の弥生時代だから、圧倒的に長い狩猟採集の時代に培われた男性社会の意識や習慣は、そう簡単に変化しないだろう。実際、組織内でゴマスリ上手の男性が出世するケースは珍しくないのだ。
女性もお世辞は得意だ。顔を合わせた瞬間から、「あら、きれいな色の服ねぇ」とか「その素敵なバッグ、どこで買ったの?」とか、お互いに褒め合うところから会話がスタートするのは見慣れた光景。本当は「似合ってない」と思いながらも褒めているのではないか、と疑いたくなる場合もある。
「人間は、自分と持ち物を同一視する傾向があります。服を褒められたら、自分まで褒められた気がする。心理学では自己拡大と呼びますが、女性はその効果を理解してお世辞を言っているのです」
男性のゴマスリと何が違うかといえば、そこに上下関係の意識があまり見られないこと。その代わりに自分が好きな相手か、嫌いな相手かという判断基準が強く働く。
一方で嫌いな相手には、その人のポジションを気にすることなく、冷淡になれる。ゴマスリ上手で出世した男性にとっては、実に面白くない点だ。
「女性が男性に比べて上下関係に左右されないのは、狩猟採集の時代は主に採集のほうを受け持っていたからだと考えられています。木の実などを採集しながら、序列を意識することなく誰とでもおしゃべりしていた。そのなかで役立つ情報を入手していたわけです。現代でも一般に女性のほうが会話の能力が発達しているのも、その長い年月の賜物でしょう。それに対して狩猟中心だった男性は、寡黙に獲物を追っていた。仲間と話すのは主に作戦会議。現代の男性も、目的が明確な作戦会議は熱心な一方で、とりとめのない会話は好きではありません」
お世辞やゴマスリといった日常のウソに男女の違いが出るのは、狩猟採集の時代をイメージすると理解しやすいだろう。
ビジネスシーンでも日常的なウソはある。たとえば、上司に対して部下がミスを隠すような場合。重大なミスほど早く相談すべきところが、「大丈夫です。順調に進んでいます」とウソをついて先送りしてしまう部下がいる。
バレなければ誰でも「隠す」
「自分のミスを隠そうとするのは、心理学でいう自己奉仕バイアスが働くからです。誰にでも自分を守ろうとする心理はあって、早めに報告する人が正直者とは限りません。ウソをついてもいずれはバレる、上司に早く手を打ってもらうほうが被害が小さくてすむなど、多くは先々のことを計算した結果。絶対にバレないと確信すれば、誰でも隠そうとすると考えていいでしょう」
不祥事を起こした政治家や芸能人などを思い浮かべるとわかりやすい。マスコミに追及されても、初めのうちはごまかそうと必死になる。事実が明るみに出て、これ以上はごまかせないと観念すれば、手のひらを返すように「申し訳ありませんでした!」の一点張りになる。先の展開を見越したうえでの謝罪だ。
なかには、もはや隠し切れない状況でも、さらに見え見えのウソを重ねて大炎上させる人もいる。しかも、そこで他人に責任転嫁するのは最悪のパターンだ。ビジネスでいえば、自分のミスを部下や協力会社のせいにするようなもの。すべてが明るみに出れば、上司や同僚の信頼を完全に失いかねない。
他人の悪い評判にも、ウソは混ざりやすい。誰かが悪意を持って広めるのだから当然だが、繰り返し語られることでコンセンサスが広がり、それが一種の定説となることもある。みんながそう認めたという社会的真実性だ。
心理学の視点からは、悪口には別の効用もあるという。
「バランス理論といって、お互いに共通の敵がいることは最も結束を強めます。赤ちょうちんで部下たちが上司の悪口を言うことは、職場の連帯感にはプラス。逆に誰かが『いや、あの上司は立派だ』と反論したら座は白け、その人は仲間として信頼されません。ただし、あまり悪口ばかり言っても負の感情が溜まるので、わっと盛り上がったところでやめるのがコツです」
他人を褒めるときに「あの人が誰かの悪口を言うところを見たことがない」というのは、実は一緒に飲んでもつまらない人、仲間意識が持てない人という意味にも受け止められるというわけだ。
共通の敵を確認することは、一方で互いの危機感を共有することにもなる。企業で言えばライバル会社であり、国家で言えば仮想敵国となるだろう。しかし恐怖心や不安感が強すぎると、ウソに騙されやすくなるから要注意だ。
「人間は恐怖心や不安感から、冷静な判断ができなくなる場合があります。オレオレ詐欺も恐怖心、不安感、切迫感の3つが揃ったときに判断力が低下するという人間の弱点を見事に悪用しています」
子や孫を装って「事故を起こして大変だ」「会社をクビになる」「今日中にお金が必要」とまくし立てれば、電話を受けたお年寄りは、ウソだと見抜く力を失ってしまう。テレビショッピングで、画面の隅に残り在庫数のカウントダウンが表示されるのも、似たような切迫感が演出されているのだ。
どこを見ているか注意深く観察する
人間はウソをつく瞬間、無意識に特有の表情やしぐさを見せることがある。その“ウソつきサイン”を読み取れば、騙されないための手助けになるだろう。そのシグナルは上に示した7つだ。特に注目したいのは、視線に関する特徴。
「アイコンタクトは、人間のノンバーバル(非言語)なコミュニケーションで最も重要なものです。目には感情の変化や心の動きがよく表れます。だから、やましい気持ちがあると、相手と目を合わせられなくなる。男性や子どもは、ウソをつくときに相手から視線をそらしがちです。ただし女性は、成長するなかで悟られない方法を学習するのか、逆に相手の目をぐっと見つめながらウソをつきます」
男性も女性も、ウソをつくと心が動揺するのは同じだ。どのシグナルも心の動揺を隠すのが共通点だが、視線については女性のほうがより高度なテクニックを身につけているようだ。
ただし、この7つのシグナルは万能ではないと齊藤氏は語る。
「シグナルがきれいに出るのは、心の動揺が隠せないほど、ウソに慣れていない人たち。ウソをつき慣れた人は、心の動揺が表に出ませんし、逆に見破る方法の裏をかいてきます。細部が気になってコミュニケーションが進まないほうが問題です」
一つひとつのシグナルにこだわるのではなく、「なんか怪しい」「どこか胡散臭い」といった全体的な違和感を見過ごさないように注意したい。「ウソをつかない人間はいない」という前提に立ち、膨大な情報から真実を見きわめていく力を日々の対人関係の中で身につけていくことが重要だ。
立正大学名誉教授。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。日本ビジネス心理学会会長。対人感情、自己呈示を研究。著書に『「スゴい!ひと言」大全』(かんき出版)。