本連載では、“伝説のトップコンサルタント”堀紘一氏に、メルマガ編集チームがまとめたリーダーたちの悩みをぶつけ、ズバッと斬っていただきます。(2024年5月6日レター)

──日本の金融グループは2000年代に3メガバンク体制に収斂されました。その中で、みずほグループの発足に立ち会った堀さんは、「世界の5指に入る強力なプレーヤーとなる」とスタートした同グループが国内3位に甘んじている理由のひとつとして、証券分野の弱さを挙げていますね。どういう事情があったのでしょうか。

【堀】戦後日本の金融史を振り返ると、銀行(融資)と証券(投資)が車の両輪のように発展することが日本経済の成長のために望ましかったと思います。しかし長い間にわたって銀行の方が証券よりも力を持っていました。そのため銀行には優秀な人材が集まり、証券会社には残念ながら超一流の人材は集まらなかった。

昔話になりますが、私が東大法学部を卒業した1969(昭和44)年、東大法学部から銀行には多くの人材が入りましたが、証券会社に入った人はたった一人でした。下世話な話ですが、当時は、娘が銀行マンと結婚するなら両親はとても喜んだけれど、相手が証券マンなら心配になって反対したというエピソードがありました。今ではそんなことはないと思いますけれど。

当時は銀行法65条によって、銀行と証券の兼業ができないことになっていました。しかし、これでは世界の潮流から遅れてしまうということで、1993(平成5)年から段階的に規制緩和が始まり、垣根を超えてお互いに子会社として参入できるようになったのです。

その後も2006(平成18)年の金融商品取引法などによって、銀行と証券の分離の規定が定められています。これを受けて3メガバンクはそれぞれ証券にも有力子会社を設け、橋頭保を築いています。現在、三井住友フィナンシャルグループには旧4大証券の一角であるSMBC日興証券、三菱UFJフィナンシャルグループには米国の名門投資銀行モルガン・スタンレーとの提携による三菱UFJモルガン・スタンレー証券があり、みずほフィナンシャルグループの場合はみずほ証券を擁しています。いずれも今の日本では証券大手5社に数えられる証券会社です。

しかし、みずほフィナンシャルグループの成り立ちを思うと、みずほ証券の現在の実力を物足りないと感じるのは私だけではないでしょう。そしてそのことが、総合金融グループとしてのみずほの弱点になったんじゃないかと思うのです。

というのも、旧日本興業銀行、旧富士銀行、旧第一勧業銀行という超一流の銀行が合流したみずほ銀行には、業界の中でも特に優秀な人材が集まっていました。一方で、みずほ証券のほうは興銀証券、勧角証券、富士証券、農中証券といった準大手から中堅の証券会社が多数統合されて発足しました。もともとは地場証券の集まりだったと言ったら言い過ぎでしょうか。

統合後に興銀証券出身者がリードしたとしても、興銀証券は債権証券でしたから、株券を扱った経験はほとんどありません。ですから、もともと優良顧客を持っている野村證券や大和証券と比べたら、成長戦略を描きにくい証券会社だったと思います。

みずほ証券も今は実力を蓄えてきたから、SMBC日興証券や三菱UFJモルガン・スタンレー証券と比べても遜色ははないと思います。しかし、まだトップクラスとまでは言えないんじゃないかな。興銀など3行の統合に立ち会った人間として、ここは残念に思うところです。

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