人材育成において、どのように部下と接すればいいのか。かつて、「野村再生工場」と呼ばれ、他球団でくすぶっていた選手たちの才能を開花させた野村克也さんは、「怒る」と「叱る」の違いを明確に理解したうえで、「怒る」ではなく、「叱る」ことを心がけていたといいます。両者の違いはどこにあるのか? そして、その効用とは何か? ノンフィクションライターの長谷川晶一さんが分析します。
「褒めて育てる」とは対極的な野村の考え
近年では「褒めて育てる」という指導法が一般的であるが、野村克也は違った。一貫して、「わたしはそうは思わない」といい、「叱ってこそ育つ」という正反対の立場を貫いていた。その理由は、「褒められるばかりで、叱られることなく育った人間は、社会に出ても褒められることが普通のことだと思って、ちょっとした苦難に遭遇するだけで挫折し、落ち込んでしまうから」というものだった。
近年、自分のことを最優先して、他者に対する思いやりや気遣いができない自己中心的な人間が多くなっているのも、「褒める教育が関係しているのかもしれない」と述べている。野村自身、「褒めるのは照れくさくて苦手だ」と語っているが、決して選手たちを褒めなかったわけではない。「褒める」効用だってもちろん理解していた。それでも、選手たちの指導方針の根本にあったのは、「叱る」だった。
選手たちは、叱られることで反発する。野村は、その気持ちを重視していた。その反発こそ、成長に不可欠なものだと考えていたからだ。監督から叱られることで、選手は何かを感じ、「なぜ叱られたのか?」「何が悪かったのか?」「何が足りなかったのか?」と考えるようになる。東北楽天ゴールデンイーグルス監督時代の2008年。野村はチームスローガンを「考えて野球せぃ!」としたが、野村が選手たちに求めていたのは、終始一貫して、「考えること」だったのである。