野球界きっての知将として知られる野村克也さんは、常に選手たちに「おまえは、何のために生まれてきたんだ?」と問うていたといいます。野球選手は、ただ野球だけをしていればいいわけではない。ひとりの人間として、社会人として、自分はどう生きればいいのか? そう、根源的な問いを投げかけ続けていました。その根底には、どんな思いがあったのでしょうか。

「成功して金を稼ぐこと」が人生の目的だった

野村克也の代名詞である「長時間ミーティング」において、彼はしばしば「おまえたちは、何のために生まれてきたんだ?」と問いかけていたという。しかし、この問いかけに明快な答えを述べることができた選手はいなかった。そんなことなど一度も考えたことがないのだから、それも仕方のないことだった。

幼い頃から、血のにじむような努力を繰り返し、多くのライバルに打ち克ち、ようやくつかんだ「プロ野球選手」というチケット。もちろん、プロの世界ではさらなる過酷な競争が待ち構えている。こうして選ばれたひと握りの一流選手たち。彼らは一体、何のために生まれてきたのだろう?

人生において、何を成し遂げたいと考えているのか? お金を稼ぐことが目的なのか? 有名になることを望んでいるのか? 異性にモテたい、いい生活がしたいという素直な欲求なのか? あるいは、それ以外の理由があるのだろうか?

戦争で父を亡くし、大病を患っていた母と兄と暮らしていた幼少期の野村の生活は決して豊かなものではなかった。極貧生活を経験していたプロ入り当初の野村は「成功してお金を稼ぐことと母を楽にすることのふたつしか考えていなかった」という。

しかしその後、野球を追究すればするほど、「自分自身はどういう姿勢で野球に取り組むべきなのか?」と自問自答するようになったと述べている。どうして、心境の変化が訪れたのか? そして、どんな結論を得るに至ったのか? あらためて紐解いていきたい。