結果ですべてが決まる。判断される──。厳しい勝負の世界で生きている一流のアスリートたちの言葉には闘う心のリアリティがにじみ出ている。(内容・肩書は、2014年6月16日号掲載時のままです)

本田圭佑、田中将大、浅田真央……

チャンピオンやトップアスリートのコメントが、なぜ人の心を打つかといえば、「普通の人とは考え方が違う」ことを如実に思い知らされるからだ。彼らは類い稀なる才能を持つだけでなく、努力や鍛錬を積み重ねることがベースにあることを、彼らの言葉を通して知っていただきたい。その上に創造力や直観力といったひらめきを発することができるからこそ、ほかとは違う存在になりえたわけだ。

さらに、トップアスリートは自分の仕事にプライドを持っているため、自説を曲げず、自分の決めたことを貫徹する人が多い。本田圭佑選手も、サッカーという職業を通し、自分のポジションで、自分の個性を主張する姿勢は、ほかのアスリートより格段に厳しいものがある。これはすごいことだ。

彼はたとえ監督と意見が食い違っても絶対に屈しない。監督が理解してくれるまで主張し続ける。ただし、単なる“ケンカ”をするわけではない。自分の考えをさらけ出すことによって、監督の考えをもさらけ出させ、互いが「オレはこういう考え方をしているんだ」ということをぶつけ合う方向へと持っていくのである。

もし、これが行動を伴わない発言であれば、単なる“戯れ言”で終わってしまう。しかし本田選手の場合、「チームを勝利に導くために、与えられたポジションで、自分の仕事を通して頑張っている」姿勢がリーダーに響くから、コミュニケーションが成立するわけだ。

逆に、本田選手のように、強烈に主張をする部下を抱えたリーダーは、どのように相対すればいいのだろうか。「厄介者」として追い払うよりは、言っただけの成果を挙げてもらったほうがいい。つまり、本田選手タイプの部下の意見を受け入れるべきかどうかのチェックポイントは、「実際に成果を挙げているかどうか」――ただ、この一点につきるのだ。

ドシャームという心理学者は、人間にはチェスにおける「コマ」となるタイプと、「指し手」となるタイプがいると分類している。従来の日本企業においては、指し手の指示通り忠実に動くコマ型人間が重宝されてきた側面がある。

しかし、世界中の企業を相手にしなければならない今、コマ型人間で構成された組織は立ちゆかなくなる。日本の優等生は、上司に言われるがまま忠実に仕事を遂行する傾向が強い。だが、成果が挙がらなければ誰が責任を取ることになるのか。それは本人であって上司ではない。そのことをしっかりと心に留めておくことが大事だ。

「三〇」の声を聞くと引退を余儀なくされるサッカー選手が多い中、三浦知良選手は現在四七歳。それでもなおプロ選手としてピッチに立ち続ける姿には感動さえ覚える。そんな三浦選手の原動力の一つとなっているのは、何事にものめり込むという思考パターン。このコメントにもよく表れている。

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「年を取ったから」と自ら生理的な限界をつけてフィールドから去っていくアスリートが多いが、それは独りよがり。じつは知能には「流動性知能」と「結晶性知能」の二種類がある。

加齢とともに衰えていく能力、例えば記憶力などは流動性知能。一方、「技」と称されるものは結晶性知能。三浦選手は、衰える体力を結晶性知能である技で補っているわけだ。「自分は技術もメンタルもまだまだ進化している。それで補えば若い連中とも互角に戦える」という気持ちを持っているからこそ、練習にものめり込めるのだろう。

ビジネスパーソンでも、朝、燃料を満タンにして出社し、ガス欠状態になるまで仕事で完全燃焼すれば、ベッドにたどり着いたときには数分以内で深い眠りに入ることができる。それを継続すれば、三浦選手のようにトップクラスまで上り詰め、長く活躍できるというわけだ。

「負けない」ことが米国でも話題となっている田中将大選手。試合後のコメントは至って冷静で謙虚なものが多い。だが、自分のスタイルを崩さず、自分の主張を貫き通す点は、サッカーの本田選手に通じるものがある。二〇〇七年、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した年のこと。当時の野村克也監督は、田中選手が変化球を多投することが気に入らなかった。田中選手を呼び「おまえなぁ、ルーキーなんだから、打たれてもいいからもっとストレートで勝負していかないと」と叱咤激励。並のピッチャーなら「わかりました。次回からそうします」と返答するはず。ところが、田中選手は違った。「もしも監督のおっしゃることを僕がきいて、それで打たれたら二軍に落ちるのは僕なんです。自分のやり方でやらせてください」と答えたのだ。高校を卒業したばかりで、入団したての選手が、かの大監督に対してである。

このとき、田中選手の訴えを受け入れた野村監督もすごい。普通の監督なら「オレの言うことに逆らうなら、今すぐ二軍に落ちろ」と言いかねない。もっとも、田中選手が二軍に落ちたとしても、「ブレない軸」は変わらなかっただろう。

〇七年、一五歳でプロゴルフ大会に出場し、見事優勝を成し遂げた石川遼選手。もし、あのときに優勝できなかったとしても、彼は一流まで上り詰めたに違いない。

それはなぜか。

教科書的な考え方では「自分が一番うまいと思って練習する」のが普通だ。つまり、常に自分をうまいプレーヤーであると自己暗示にかけるわけだ。

これに対し石川選手は、「自分は一番下手だ」と言い聞かせることにより、「もっと努力しなければならない」と自分にむち打つ。石川選手のコメントは、どんな分野のトップクラスにあっても、「まだ自分には足りないものがある」と、自分の欠点を意識する心構えがとても大事であることを思い起こさせてくれる。

人間には、自分をかき立ててくれる大きな要素として「成長欲求」がある。「仕事を通して自分が成長し続けているという手応えを感じ取りたい」と思う気持ちのこと。この成長欲求が異常に強いのが、トップクラスのアスリート。つまり、トップに上り詰めるには、これこそが不可欠の要素なのだ。最もよくないのは“妥協”だ。妥協した時点で停滞が始まる。

浅田真央選手を応援する人は、大会での彼女のパフォーマンスに注目する。しかし彼女自身は、「努力をすること」に意味を見出している。

極論すれば、彼女にとって大会における結果は、それほど大事なものではない。そこへ至るまでの準備をどれくらい完璧にしたか――。それが本人にとってのやりがいであることが、このコメントから窺える。

ソチオリンピックを終え、今後もフィギュアスケートを続けるかどうかについて、彼女は「ハーフハーフ」という独自の言い回しで答えている。もし、選手生活を続けるとしたら、そのモチベーションとなるのは、おそらくオリンピックの金メダルではない。これまでの努力の中に、「まだやり足りていないこと」を見つけたとき、選手生活を続ける決意をするのではないだろうか。

哲学者である、ハーバード大学のジョシュア・ハルバースタム博士は「仕事における最大の報酬は、その仕事をする行為そのものにある」と言っている。つまり仕事の成果はあくまで付録のようなもので、報酬とは、本当に泥臭い努力や作業の中にあるということ。そう考えれば、私たちはどんどん成長していけるのだ。

児玉 光雄(こだま・みつお)
スポーツ心理学者

追手門学院大学客員教授。臨床スポーツ心理学者として、プロスポーツ選手のメンタルカウンセラーを務める。著書に『田中将大から学ぶ負けない「気持ち」の創り方』など多数。