世界で一番読まれているこのビジネス書には、成功者たちの数々の知恵と言葉が詰まっている。その意味と仕事に役立つ実践法とは――。(内容・肩書は、2014年6月16日号掲載時のままです)

誰の目からも自由になる「主体性」を持っているか

日本の大手損保会社を二九歳で辞めて、MBAを取るために渡米。資格取得後はシリコンバレーで撤退が決まっていた日本の投資会社に無給の社長として就任した。そして、帰国後はビジネスの種を探して、二〇一〇年に電動バイクを扱うベンチャー企業を立ち上げた――。

こう話すと、小さい頃から主体的に生きてきたと思われるだろう。ところが本当はまったく正反対な田舎の優等生だった。親や周囲の期待を敏感に感じ取った僕は、それを裏切りたくなかった。そして「安定した大企業に入れ」という父親の言いなりに“いい大学”そして“いい企業”へと進んだ。

つまり、自分の物差しではなく、他人の尺度で人生を歩いていたのだ。しかし社会人になって、自分のテイストとか、志向が見えてくると、そうした生き方に違和感を持つようになった。結局は、事なかれ主義の大企業に見切りをつけ「ベンチャー企業を興してみたい!」と、チャレンジすることにした。

僕は、スティーブン・R・コヴィー博士の『7つの習慣』を座右に置き、折に触れひも解いている。このなかの第一の習慣が主体性についてだ。

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自分にあてはめてみると、親や会社といった周囲の目から自由になって、最後には自分がワクワクできる道を選んだ。もちろんリスクはある。父親からは勘当されたし、妻以外は全員反対。起業するまでの一〇年余りはのたうち回って寄り道もしたが、今会社は、日本のみならずアジアを巨大なマーケットとして動き出している。

僕はコヴィー博士が主張する「主体性を発揮する」を、自分なりに言い換えて、社員には「当事者意識を持て」と言っている。当事者意識を持った人は、たとえ失敗してもそこから多くを学ぶ。

成功させるという思いが強いほど失敗のショックは大きいが、終わったことをクヨクヨと振り返らないことも大切だ。

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実を言うと僕は高校生のころ、クヨクヨするタイプの人間だった。三〇〇人いる学年で浪人するのは二人だけというなかで、大学入試に失敗。大いに落ち込んだ。アメリカに行くと啖呵を切ったときも、スタンフォードにもバークレーにも受からなかった。だけど、スタンフォードやバークレーに行った日本人はみんなアメリカに残りたいと言っていたのに、誰一人残れなかった。僕は残れた。失敗から湧き出てきた執念がそうさせたのだ。この二つの挫折がなければ、僕は今頃普通のサラリーマンをしているはずだ。

コヴィー博士が、面白い問いを投げかけている。それは、自分の葬儀を想像したとき、参列してくれた人たちから、自分の人生についてどう語ってほしいかというものだ。そこにこそ、純粋に自分のありたい姿があるはずだというのである。

僕はテラモーターズをかつてのソニーやホンダのようなメガベンチャーにするという明確な目的を持っている。長かった不況で、日本人は自信を失っているが、かつては盛田昭夫さんや本田宗一郎さんのような世界に通用する経営者がいた。

渋谷にある四畳半のオフィス。力強い言葉が貼り出されている。

彼らは、トランジスタラジオとかオートバイを武器に、徒手空拳で世界に挑んだ。やがて、安全で質の良い製品は“メード・イン・ジャパン”のブランドになった。

そして、その評価は今まだ生きている。アメリカやアジアで働いていると「日本製品は壊れにくい」という声をよく耳にする。日本がつくった製品“メード・バイ・ジャパン”は必要とされている。だから、そのニーズに応えれば勝てる。明確な目標を掲げて、迷わずに自主技術で勝負していけばいい。

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