理詰めで野球と向き合い、「ID(データ重視)野球」を標榜してヤクルトに黄金時代を築いた野村克也さんですが、意外なことに「データは常に万能とは限らない」と語り、「データ万能主義」に対してある種の疑いの目も持っていました。一見すると矛盾するような発言ですが、そこにあった深い意味とは何だったのでしょうか。

「軍隊式根性野球」を嫌悪していた野村克也

昭和10年に生まれた野村克也は、戦前の教育を受けていたにもかかわらず精神論や根性論の類を嫌悪していた。そこに理があり、合理性があるのならば、受け入れることもあったかもしれない。しかし、大半のものは愚にもつかぬものばかりで、何も根拠はなく、そこに論理もない。この時代の人物にしては珍しく先進的な考えを持っていた野村にとっては、相容れないものばかりだった。

南海ホークスの現役選手だった野村と、「ミスターホークス」と呼ばれ南海のドンであった鶴岡一人との折り合いが悪かったのは有名な話だ。兵役体験があり、陸軍中隊長の経歴を誇る鶴岡の指導スタイルは、しばしば「軍隊野球」「根性野球」と呼ばれた。それは、野村にとっては自身の野球哲学とは相反するものだった。

のちに野村は、「自分は軍隊野球や根性野球は好まない」とハッキリと口にしているが、もちろんこれは鶴岡の指導スタイルを念頭に置いたうえでの発言である。ビジネスの世界ではすでに合理性を追求することはあたりまえとなっていたが、昭和のプロ野球界はまだまだ旧態依然としていた。そんな時代に野村は、いち早く異を唱えていたのだ。野村の名言を集めた『野村克也全語録』(弊社刊)にはこんな一節がある。

「そもそも、むかしながらの軍隊式精神野球には知性も感性も感じられない。理を以って戦うことを信念とするわたしからすると、『気力も必要だが、やみくもに根性で戦う前に知力を使おうではないか』といいたくなる」

若い頃からこんな思いを抱いていたからこそ、野村はいち早くデータの重要性に気づき、技術向上をはじめ、戦略や戦術にも積極的に取り入れてきた。そして、その集大成こそ、野村の代名詞となった「ID野球」なのである。