「組織はリーダーの器以上にならない」をモットーとしていた野村克也さんは、「リーダーとしてのあり方」に注意を払っていました。組織の上に立つ者は、どんなときも選手や部下たちから注目されています。そんな状況下において、リーダーが右往左往している姿をさらしてしまえば、部下からの信頼を得ることはできません。野村さんはどのようなことを心がけていたのでしょうか。

指揮官の心の隙は、選手たちに伝わる

「高山の巓(いただき)には美木なし」ということわざがある。高い山の頂上に生えている木は、激しい風雨や太陽の光にさらされるため美しい姿を保てないという意味であり、転じて「高い地位にいる人間は、人から恨まれたり、常に批判にさらされたりするので、名声を保つことは難しい」というたとえで使われる。

ヤクルトスワローズ監督時代の野村は、就任3年目となる1992年にリーグ優勝を果たすと、翌1993年もリーグ優勝、さらには日本シリーズで西武ライオンズを破り日本一に輝いた。しかし野村の言葉を借りれば、「戦いに勝つは易し、勝ちを守るは難し」である。1994年以降は4位、日本一、4位、日本一、4位という結果に終わり、日本一連覇は一度もなかった。

野村自身、「追う者から追われる者に立場が変わると、それまで以上に気を引き締めてかからなければならないことはわかっていた」ものの、やはり「どこかに気の緩みがあったのだろう」と振り返っている。

南海ホークス時代には日本一になることはできなかった。だからこそ、1993年にはじめて日本一になったことで、野村のなかにも安堵の気持ちが芽生えてしまったのである。野村の名言をまとめた『野村克也全語録』(弊社刊)には、自らの「気の緩み」に関して、次のような一節がある。

「そういうリーダーの気持ちは、選手たちにすぐに伝わるものなのだ。それは、翌年に4位になったときに実感した。『連覇を目指して』といいながら、わたしの心の隙が選手たちに伝わるのだから怖いものである」