「互いに尊敬できるライバルを持つことこそが、自己研鑽の最適の方法である」。捕手として三冠王を獲得し、現役引退後には名将として数々の人材を育成した野村克也さんの言葉ですが、彼がそのように考えるようになったきっかけは、「鉄腕」と称された、西鉄ライオンズの稲尾和久投手との熾烈な攻防を経験したことでした。生前の野村さんが語っていたエピソードを、ノンフィクションライター・長谷川晶一さんが紹介します。
投手のタイプを4種類に分類する
現役時代には豪打の名捕手として鳴らした野村克也は、対戦する投手のタイプを①超本格派、②本格派、③超技巧派、④技巧派の4種類に分類していた。
①の「超本格派」は、「100%ストレートがくる」と待ち受けている打者に対してストレートを投じても抑えることのできる投手だ。その代表例が、野村によれば金田正一、そして江夏豊だった。
②の「本格派」は、ストライクゾーンに投げたストレートならばバットにあてることができるものの、高めを狙った伸びのある直球を投げれば空振りさせてしまう投手のこと。それが、野村の南海時代の同僚・杉浦忠、または、山口高志、堀内恒夫、江川卓であり、平成時代では野茂英雄や藤川球児だという。
また、③の「超技巧派」は、「本格派であり、技巧派でもある」という理由でダルビッシュ有の名前を挙げている。特にメジャーリーガーとなってからは、相手打者が「真っ直ぐを狙っても打ち損じ、変化球は引っかけてボテボテのゴロになる」という点を絶賛している。
そして、最後の④「技巧派」については、「①~③以外のほぼすべての投手が該当する」と、野村は指摘している。
現役時代の野村にとって真のライバルであり、対戦を心待ちにしていたのが④「技巧派」の筆頭格である西鉄ライオンズ・稲尾和久だった。「技巧派」というと、「軟投派」のようなイメージを抱きがちだが、決してそうではない。確かに、稲尾のストレートは「バットにあたらない」というものではなかった。それでも、並み居る強打者たちはいずれもてこずり、三振、凡打の山を築いてばかりだった。
その理由は、稲尾の球質にあった。初速と終速の差がほとんどなく、打者からすると浮き上がってくるように見えるボールだったのだ。一般的に「ボールがホップする」といわれる球質によって、野村は稲尾攻略に手間取っていたのである。