平成を代表する経営者、稲盛和夫氏。その真骨頂は「利他の心」から発した第二電電創業やJAL再建などの数々の挑戦だ。身近に接した人々が「教え」のエッセンスを語る。(内容・肩書は、2019年7月5日号掲載時のままです)

なぜ話すだけでなく行動で示すか

JALの再建に稲盛さんが乗り出された当時、社内には若手を中心に稲盛さんを歓迎する声もありましたが、幹部クラスに限れば懐疑論のほうが強かったと思います。しかし彼らも次第に心を開き、稲盛さんを中心に強い一体感のある会社になりました。再建2年目には営業利益が過去最高の2049億円を超え、再上場を果たすこともできたのです。

稲盛さんは、そのために何をされたのでしょうか。講演や著書で述べられているとおり、一言で言えば、すべての従業員に対する愛と感謝の気持ちを言葉にし、行動で示されたのです。

大事なことは、言葉と行動が一致しているということです。世間に立派なことを言う人は多いのですが、なかなか行動がともないません。そうなると逆に不信感が生まれ、モチベーションは下がります。ところが稲盛さんの場合は、言葉と行動が一致しています。だから懐疑派を含め、全社員の心が動いたのです。

たとえば、旅客機の座席や設備を交換するリノベーションの現場視察の際、稲盛さんが機外に出ると、真冬の寒さのなか60~70人もの整備士たちが整列して待っていました。案内役の本部長が言うには「会長にお礼を申し上げるため、待っておりました」。すると稲盛さんは、「お礼を言うのはこちらのほうだよ」と言われ、その場にいた整備士たちと順々に握手をし、一人ひとりに「ありがとう」と伝えたのです。

私はこのとき、一緒にいながらまさか稲盛さんが全員と握手をするとは思ってもいませんでした。しかし考えてみれば、「すべての従業員に感謝をする」とはこういうことなのです。このときだけではなく、稲盛さんは空港の事務フロアに行かれ一人ひとりに声をかけ感謝の気持ちを伝えられたこともありました。そうしたことの一切が多くの社員に伝わり、経営に対する信頼度を高めていったのです。

CAの方々との座談会を開催したときには、こんなことがありました。そのなかの一人が「ロンドン・オリンピックの日本人メダリストが、これまで応援してくれた人たちに感謝しますと記者会見で言っていましたが、私たちも常にそういう心を持って仕事をしようと思います」と決意を述べました。

最近のアスリート、とくにオリンピックの選手たちは、必ずと言っていいほど支えてくれた人たちへの感謝の言葉を口にします。とてもいいことだと思いますが、稲盛さんは「感謝」の本質をもっと深く考えなさいという意味で次のように言われたのです。

「何かしてもらったことに感謝するのはある意味で当たり前です。大切なのは、何もしてもらわなくても感謝の念を持つことです。見返りを求めるのでは本当の感謝とは言えません。みなさんは自分が礼を尽くしたのにお客様から無視されたり、横柄な態度を取られたりしたこともあるでしょう。しかし、それでもお客様を心の底から大切にして感謝するのが本当の感謝です。『お客様から愛されるCAになりたい』と話した人もいましたね。それよりも、お客様を愛することのできるCAを目指しましょう。愛されようとしてサービスをするのではなく、家族に対する愛情と同じような愛情をもってお客様と接することのほうが大事です」

なぜ仕事でも死生観を大切にするか

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稲盛さんは優しく教え諭すだけではなく、厳しく叱ることもあります。経営破綻にともない、JALでは費用のかさむパイロット候補生の訓練は中止され、彼らは地上勤務に就くことになりました。しかし子供の頃からパイロットを目指してきた彼らは、少なからず不満を溜め込んでいました。

そこで稲盛さんは、立食でのコンパを開き「再建が成功すれば訓練は再開できるのだから、まずは再建に向けて一緒にがんばろう」と諭しました。ところが彼らは納得せず、強い言葉で反論してきたのです。

稲盛さんが目指すのは、すべての社員が経営者目線を持つ全員参加の経営です。ところがこのときの彼らは、「早くパイロットになりたい」という自分の都合しか考えていなかった。だから稲盛さんは本気で怒り、激論になりました。

ところが議論をいったん終えると、稲盛さんは一転して優しい顔で、彼らにビールを注ぎ始めたのです。

稲盛さんはおそらく、若い彼らに「気持ちはわかる」と言いたかったのでしょう。あれほど激論した直後に、深い共感を示すことができるのですから、やはり器の大きさを感じさせます。彼らは素直にうなずき、その後、不満は聞かれなくなりました。

このような稲盛さんの行動のベースになっているのが、稲盛さんの死生観・人生観だと思います。稲盛さんは、日々の仕事に追われるようなビジネスマンでは決して思いつかない壮大な構想を折々に描き、実現されてきました。それができるのも稲盛さんには確固たる哲学、そして死生観があるからだと思うのです。

たとえばDDIを創業したのは、官営企業による市場独占は国民のためによくないことであり、通信市場の自由化が決まったからには、巨大官営企業に挑む健全な競争相手がなければならないと考えたからです。国際賞として京都賞を創設されたことも、若手経営者をボランティアで育成する盛和塾を始められたのも、ひとつとして利己的な動機がなく、世の中の役に立つことを第一に考えています。だからまわりの人がついてくるし、大きな構想も実現できるのです。

かつて稲盛さんは、心理学者の河合隼雄さんと対話をされたときに「私は現世と死後の世界は両方合わせれば辻褄が合うようにできていて、現世で善きことを積めば、その分だけ死後の世界では報われるようになっていると思うんです」と述べられました。河合さんは「そうですね。人生は『死んだ後』のほうが長いですから」と笑って応えておられました。

たしかに「死後の世界」があるとするなら、死んでからのほうがずっと長いでしょう。そう考えると、短期的な損得を追い求めるよりも、長期的な視点から、まず善行を積もうという発想になるのです。こうした死生観を持つことで、利己的な発想から利他的な発想へ意識を変えることができると思うのです。

なぜ成功しても「さらに上」を目指すか

経営者として成功し、普通の人なら「これ以上どこを目指すのか」と腕組みしてしまうところで、稲盛さんは利他の考え方に傾斜していかれました。それが経営者としてのスケールを広げ、利他の思いが強まるにつれて企業の成長や再建のスピードも速くなっていったと思います。実際、「若い頃は経営者としてまだまだ未熟だった。JAL再建こそが自分の経営の完成形です」とおっしゃっていました。

稲盛さんは「困難は愛が形を変えたもの」と言われたことがあります。人生にはいろいろな困難がつきものです。それを嘆くのではなく、「自分を成長させるために神様が与えてくれた、神様の愛が変形したものなのだ」と考える。稲盛さん自身そう思い、どんな困難に直面しようと、努力を重ね、それを乗り越え、器を広げてこられたのではないでしょうか。

私は、稲盛さんから「謙虚さは魔除けだ」とも教えてもらいました。人は成功するまでは一生懸命努力します。ところがいったん成功すると、それが全部自分の力によるものだと思い込み、謙虚さをなくしてしまう。そうすると仕事も人生も悪いほうに転んでしまうのです。おそらく稲盛さん自身にも若い頃、そのような経験があるのではないでしょうか。頭ではわかっていても、謙虚であり続けることは本当に難しいことなのです。

最近JALでは、パイロットの飲酒などの不祥事が報道されています。私はJALにとって、倒産と同じように、再建の成功も大きな試練だと感じています。再建に携わった人間として、JALの皆さんが今後とも謙虚さと感謝の大切さを忘れることなく努力を重ねられ、企業としての、また人としての理想の姿を世界に示し続けてほしいと願っています。

大田 嘉仁(おおた・よしひと)
1954年、鹿児島県生まれ。立命館大学卒。京セラ取締役執行役員常務などを経て、日本航空会長補佐・専務執行役員に。稲盛氏の側近中の側近と言われた。著書『JALの軌跡』。(内容・肩書は、2019年7月5日号掲載時のままです) 
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