トップに立つリーダーが優柔不断で、判断力や決断力に劣っていれば、間違いなく部下たちは混乱してしまうことでしょう。そうなれば組織は破綻し、思うような成果を上げることができなくなります。だからこそ、リーダーはいつも勇猛果敢で毅然としていなくてはいけない——。野村克也さんがいつも心がけていたことでした。しかし、その実態は必ずしもそうではなかった!? ノンフィクションライターの長谷川晶一さんが解説します。

監督、リーダーは常に孤独な存在である

「勇将の下に弱卒なし」という言葉がある。読んで字のごとく、勇猛果敢な大将の下には、臆病者の弱い兵卒はいないという意味である。人の上に立つ者は、常に毅然とした態度で勝負に臨み、どんな相手にも、どんな状況にも決して怯んではならない。

野村克也はこの言葉を好んでいた。指揮官である自分が勇猛果敢であれば、選手たちも自ずとたくましくなってチームは自然と強くなっていく。それはとても難しいことではあるが、決して不可能なことではない。そして、それを可能とするのは、あくまでも指揮官である自分の態度なのだ。野村は、そんな考えを抱いていたのだという。

監督にはたくさんの敵がいる。対戦チームはもちろんのこと、場合によってはオーナーや球団社長など、身内が敵となることだってある。熱心なファンはありがたい半面、成績不振に陥れば一転して非難の矛先を向けてくることもある。日々接する報道陣も、好意的な報道ばかりではない。さらに、見方によっては、選手ですら、監督の敵となることさえある。

監督に限らず、人の上に立つ者は孤独である。いくら自分が粉骨砕身の努力をしても、その意図がまったく伝わらないこともあれば、誤解や曲解を招いて逆効果となるケースもある。リーダーとして、そう簡単に弱みをさらすわけにはいかない。泣き言を口にするわけにもいかない。リーダーは常にひとりでグッと耐え忍ばなければならない。やはり、リーダーは孤独な存在なのである。