セルフ式の讃岐うどん専門店「丸亀製麺」は、現在では海外も含め1000店以上展開する繁盛店ですが、開店までには失敗と挑戦がありました。お客様に気に入られようと努力しているのに、なぜうまくいかないのか――。なんとかしなければと考える粟田さんが香川の製麺所を視察して気付いたこととは。(2022年4月4日レター)

失敗を乗り越えるとか、失敗から何かを学ぶというよりは、失敗をどう成功に変えるか。

これが私の生き方です。

「失敗したということは、もうそこにツキはないのだから、これ以上深掘りしない。それよりツキのあるほうにみずから動く。それが成功を取りに行くということだ」。

これが私の考え方です。

大学を中退した私は運送会社で開業資金を貯め、兵庫県の加古川に小さな焼き鳥の店を開きました。ところがこれがあまりうまくいかなかった。オープン当日こそ友人や親戚で賑わったものの、次の日からはオープン当日のようにはいきませんでした。まだ23歳だったのですが、あのときの絶望感は今も忘れられません。

この状態をどう乗り越えたか。今ならいろいろな手を思いつきますが、当時は何もできませんでした。そんななか思いついたのが、営業時間を延長すること。近所にあったラーメン店が夜中に賑わっているのを見て、「このあたりは朝までやっている店が少ない」と気づいた。そこで深夜も店を開けるようにしたら、お客さんが来てくれるようになりました。

次に、「女性客が居酒屋に進出」という記事を読み、女性客を狙うことにしました。女性でも入りやすい洋風の焼き鳥店にして、カクテルやオムレツやグラタンといったメニューを増やしたらこれが大当たり。ところがもっと本格的なイタリアンや創作居酒屋が増えてくると、だんだんお客さんが減ってしまいました。この領域で戦うにはあまりにも力不足だと思った私は、次の土俵を探します。

当時は郊外型ファミリーレストランの需要が一段落して、空き物件が出始めたころ。そこで居抜き物件を活用して始めたのが、焼き鳥のファミリーレストランです。これがうまくいき、どんどん店を増やすことができました。これで大きく成功できると思ったのもつかの間、郊外に回転寿司や焼肉など、強力なライバルが次々と参入してきたのです。

なんとかしなければと思っていた2000年ごろ、讃岐うどんブームが起きます。私の父は香川県出身なので、香川では小さな製麺所にイスとテーブルを置いて、打ち立てのうどんをその場で食べるのは知っていました。それが今、大ブームになっているという。そこで改めて視察に行ってみると小さな製麺所に大行列ができているではありませんか。このとき私は気づきました。

「いままで自分は、なんとかしてお客さまに気に入られようと、一生懸命メニューを考えたり、料理がおいしそうに見える写真を撮ったり、店内の設計を工夫したりしてきた。でもこの小さい製麺所こそ、お客様の求めているものを提供できているのではないか」つまりお客様はできたて、手づくりのものを求めている。それなのに自分はいままで、本質的ではないところで頑張っていた。でもこの出来立てのうどんであれば、自分の土俵をつくれるかもしれない。そこで始めたのが丸亀製麺です。

じつはチェーン店において、店内で粉から生地をつくる店内製麺は非効率の極み。しかし丸亀製麺では、すべての店で店内製麺をし続けています。おかげでみなさまから支持を得られ、現在では海外も含め1000店以上の店を構えることができました。

その後も順風満帆だったわけではありません。丸亀製麺のノウハウを生かして、パスタやラーメンなどの店内製麺にも挑戦しましたが、大繁盛とまではいきませんでした。それでもある程度のトライは必要だといまは考えています。失敗を成功に変えるために行動を続けた結果。それが手づくり、できたてのうどんを提供する店「丸亀製麺」の開店につながりました。

第2回では、丸亀製麺がこれまで私がつくってきた店とどこが違うのか、具体的にお話したいと思います。(つづく)

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