どうせ瞑想をするのであれば、きちんとしたやり方やその効果を知っておきたい。一度覚えてしまえば、自宅でも通勤中でもどこでも好きなときに行える。自分に合ったやり方がきっと見つかるはずだ。(内容・肩書は、2016年4月4日号掲載時のままです) 

瞑想の基本のひとつ「調身」

瞑想とマインドフルネスは、何が違うのでしょう。瞑想から宗教的な面を排除したもの=マインドフルネスと考えている方が多いようですが、私はこれは正確でないと思っています。

なぜなら仏教的なコンセプトはマインドフルネスの「哲学的に大切な部分」として残っているからです。ですからマインドフルネスとは何かと問われれば「神秘的な面を排除し、脳科学で明確に証明された、リラクセーションと脳の活性化を実現する瞑想」だと私は考えます。

一般的に、瞑想はリラックスする目的で行うイメージがありますが、医学博士の石川善樹さんは瞑想をこのように位置づけています。「集中力、想像力、記憶力、意思決定、モチベーション、コミュニケーション能力など、仕事力全般のパフォーマンスを向上させる働きがある、万能の力を鍛えるベースメソッド」。そんなにいろいろなことを高めることができるのかと疑問を抱くかもしれません。しかし、このベース全般の力を高めるということが重要なのです。

最近では「集中力をアップさせたい」「自己認知力を高めるんだ」と個別の目的を設定して、マインドフルネスに取り組む人が多いように思います。確かにマインドフルネスは西洋的・科学的な考え方であり、現象を一個一個分析していくので、そうした態度もある意味正しい。しかし今のマインドフルネスは、特定の目的意識を持ちすぎたり、細分化しすぎているきらいがあると思います。

本来、集中力が上がれば自己認知力も上がる。そうなると自分の体にも敏感になり、ストレスが溜まらないようになる、とすべての効果はつながって、相互作用していくものです。瞑想する目的も細分化しすぎず、全体としてとらえたほうがいいのです。

仏教用語に、「一如」もしくは「真如」という言葉があります。すべては相互作用していて、自分も他もないという考えです。近年、注目されるようになった概念「Oneness(ワンネス)」もこれに似ています。これまで世界は勝ち組と負け組に分かれ、勝ち組は好き勝手に生き、負け組のことなんて知らない、といった風潮がありました。しかしリーマンショックを機に経済の破綻が起こり、社会全体の幸福度を上げないかぎり、人間は幸福にならないことに人々が気づいた。全体がうまくいって初めて物事が機能するのは、社会も精神も同じなのです。

瞑想するうえで注意しておきたいのは、瞑想を逃げ場所として使わないことです。実践すればストレスから解放される、すぐに成果が出ると期待するかもしれませんが、すべてが瞑想で改善されることはありません。あくまでも自分を整えるメンテナンスだと考えてください。

過剰に期待してしまうのは、瞑想やマインドフルネスを日常とかけ離れたものとしてとらえてしまうからではないでしょうか。しかし日常に即して、初めて価値は生まれるもの。体験をきっかけに、自分の生き方や人間の幸せについて考えたり、姿勢や呼吸を気にしたり、生活の中に取り入れることが何より重要です。

だから定期的に行うのは、素晴らしい心がけでしょう。週一回ジムで集中して鍛えるより、通勤時に歩く時間を増やしたほうが健康を増進するように、毎日5分やるのとたまに30分集中してやるのだったら、前者がいい。瞑想は体と同じく、継続的に行うべき心のエクササイズなのです。

禅の言葉に、一歩一歩が修行という意味の「歩歩是道場ほほこれどうじょう」があります。ぜひ、そんな気持ちで取り組んでみてください。

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川上 全龍(かわかみ・ぜんりゅう)
臨済宗妙心寺派本山塔頭 春光院 住職。2004年、米国アリゾナ州立大学宗教学科卒。ビジネススクールの学生、グローバル企業のCEOらに禅を指導。LGBT問題にも取り組む。