人に対して怒ることは、何よりも恥ずかしいことである——。そう、江見社長は語ります。では、部下がミスをしたり、間違ったことをしたときに、怒らずしてどのように指導をすれば成長を促せるのか。江見社長の経験をもとに、教えてもらいます。(2023年10月9日レター)

どんなことがあっても決して怒らない。これが私の経営の根幹です。

こう言うと大半の方が、「そんなに社員を甘やかして、大丈夫ですか?」と怪訝な顔をします。「怒る」と「叱る」を混同しているのです。もっとも、混同するのも無理はありません。なぜならほとんどの人が、これまでの人生で「怒る」と「叱る」の違いを教わっていないからです。

「怒る」とは、単に自分の弱さを相手にぶつけているだけ。怒って大声を出したり暴れたりする人は、一見、プロレスラーのように強そうに見えます。しかし本当は、怒る人は弱い人です。怒る人は、不安だから怒るのです。なぜ不安なのか? 無知だからです。たとえば暗闇を歩いていても、先を照らせる懐中電灯があれば怖くない。でも真っ暗だったら先が見えず不安になります。無知で不安で怖いから、どうしていいのかわからず、自分を強くみせかけるために怒るわけです。

不安なのも、無知なのも、突き詰めれば自分のせいでしょう。自分が至らないから、何かアクシデントがあると動揺して怒りの感情が生まれる。人のせいにして怒鳴る。この仕組みがわかっていれば、怒りをあらわにするのは、みっともないことであり、恥ずかしいことだと納得できるはずです。

さらにいえば、怒りは非合理的です。何かを成そうとして怒りという感情を使ったとしても、物事を根本的に正すことは絶対にできません。実は、自分だって本当は望んで怒っているわけでもないはずです。誰だって怒られたくないし、怒りたくもない。場の空気は間違いなく悪くなるし、消費するエネルギーだって尋常ではないでしょう。

一方、「叱る」というのは、間違っていることを、相手に伝わる形で指摘することです。そのときに、叱る側は自分の利害は度外視し、相手の成長を願い、相手へのサポートに徹するのです。私は怒らないけれど、よく叱ります。叱りまくっているといってもいい。そうしているうちに、必ず叱られた側も、間違いに気づき、正しい道を歩むようになります。

このように「怒る」と「叱る」はまったく違うのですが、この両者を混同していると、コミュニケーションがおかしなことになります。「相手のためを思って言っているんだ」と言うけれど、実際は、怒れば怒るほど関係が悪化する。そうなると、叱っただけなのに相手はすでに心を閉ざしているので、なかなか言うことを聞いてくれません。だから怒ってばかりいる人の経営はうまくいかない。

私が起業したのは30歳のときです。23歳でアメリカに渡り、永住権を取るため寿司職人になった経験を生かして始めたのが、寿司のデリバリーサービス「銀のさら」でした。起業して最初の3年は、私も人前で部下を怒鳴ったり、泣くまで問い詰めたりと、恥ずかしいことをさんざんしてきました。徐々に規模が大きくなっていたけれど、借入れやリースを合算すると、私と共同創業者の松島和之(現・副社長)の2人の借金は大きな金額になってしまった。当時は金利も高く、金利を返すだけで精一杯。

「元金を返すのにかなりの時間がかかりそうですね」——。この状況をひっくり返すには、何かを根本的に変えるしかない。その何かとは何か。ヒントを求めて、様々な名経営者の方が書いた本を読み漁りました。本田宗一郎さん、松下幸之助さん、稲盛和夫さん。みなタイプが違い、荒っぽい経営者もいれば学者肌というか、落ち着いて哲学を語るような経営者もいます。やがて、それぞれ全然違うことを言っているようでも、実はみんな同じことを言っていると気づきました。

それは、「世の中は、人のために尽くせば、自分も幸せになるようにできている」ということです。成功した経営者たちは、お人よしだから人に尽くしたわけではありません。自分だけが得をしようとするよりも、人を喜ばせるほうが、自分の夢がもっと早く手に入るという原理原則に気が付いたからです。だとしたら、怒ってばかりいる自分は間違っているのではないか。怒るのを一切やめて、いまより徹底的に人に感謝するようにしたら、もっと会社が良くなるはずだ。私はビジネスマンなのだから、数字で証明しなければいけない。「よし、自分の会社で試してみよう」と思いました。

怒らないマネジメントに徹すると、組織が変わり、業績も上がり、気がついたら日本の宅配寿司市場シェアNo.1企業になっていました。東京に進出してわずか2カ月目で借金を全額返済できました。貧乏どん底から這い上がったのです。したことといえばたった一つ、「怒るのをやめた」だけでした。第2回に続く。

次の講義を見る