定年退職の2年前、58歳から弁護士を志し、65歳で司法試験に合格した吉村哲夫さんは、「記憶力が衰えても司法試験に受かる」と語る。その秘訣とは何か。(内容・肩書は、2019年8月16日号掲載時のままです)

吉村哲夫さん(69歳)は、2014年に同年最高齢の65歳で司法試験に合格。故郷である福岡市内の事務所で働く「新人弁護士」だ。

1974年に九州大学を卒業後、福岡市職員となり、東区長まで務めた。58歳のときに、吉村さんは2年後に迫った定年後の「第二の人生」を考え始める。余生ではなく、まったく新しいキャリアを歩みたい、一生働ける価値を身に付けたいと考えた吉村さんは弁護士を志し、働きながら勉強をスタート。退職後の11年に京都大学法科大学院(ロースクール)に合格。入学後は、量・質ともに想像以上の勉強量に追われながら、14年に司法試験を突破した。

吉村さんは、「丸暗記の勉強法では駄目。むしろ、記憶が邪魔をすることもある」という考えにたどり着いたという──。

記憶力が衰えても司法試験は受かる

忘れない勉強法があるなら、私が教えてほしいくらい(笑)。ただ、一つ言いたいことは、「記憶力」にどれだけ意味があるのかということです。

たしかに記憶力がいいほうが、資格の勉強に都合がよく見えるし、忘れない勉強法が魅力的なことも理解できます。でも本当に大事なのは、記憶力よりも総合的な理解力や判断力でしょう。そして人間の理解力や判断力は、20代、30代、40代と、どんどん高まっていくものだと思います。私は70近いですが、50代の頃よりもいろんな意味で理解力や判断力が身に付いていると実感しています。

若者に比べて記憶力が衰えていようが、年を重ねて理解力や判断力に優れた人間のほうが、むしろ司法試験のような難関資格の試験には強いともいえるのです。記憶力がよければ医者や弁護士になれるなら、「記憶力のテスト」だけをすればいいはず。でも、実際にはそうではない。試験を受けてみればわかりますが、かえって「記憶力がないほうがいい」くらいです。

というのは、答えを記憶して書き写しただけの答案では、司法試験ではほとんど点数を取れません。司法試験は、専門の法曹としての法的理解力、判断力を持っているかを測る試験ですから一定の知識を持っていることは当たり前で、ただ知識を問うような問題は出ないのです。

司法試験では、「法的三段論法」にそって、そもそも事案の具体的な問題はなにか、この問題はどう解決すべきかとその法的な根拠を示して、それを事案にあてはめ、結論を出す。その考え方がどれだけできているかが問われます。判例や専門用語の一言一句を覚えておく必要はない。判断力、理解力を自分で培っていく、養成していくこと。目の前にある問題に、どこからどんな根拠を引っ張り出せば結論を導けるのかという訓練をしておくことだと思います。

社会で実際に仕事を何年もしていると、問題が起きたときその問題の所在がどこにあるのか、どう解決したらいいのか、だんだんわかってきますよね。つまり、判断力、推認力、分析力、応用力……総合的な理解力が求められる。その意味で司法試験は社会経験がある人に向いていると思います。そもそも、弁護士にとって最も必要なのは、この総合的な理解力ですから。

記憶というとどうインプットするか、という話になりがちです。しかし、インプットしただけでは価値はゼロ。アウトプットをまず始点において、そのためにどんなインプットが必要なのかを考えなければいけません。

私のノートをほかの人が見ると、情報を書き出していて一見きれいにまとめているので、インプットのために作っていると思われがちなのですが、違います。ノートを作るのはアウトプットの練習のためです。試験前にノートを丁寧に読み返すことはしません。期末試験や司法試験の過去問を読んで実際に答案を書きます。時間がないときは、答案の構成だけを書き、文章は口に出してアウトプットします。そうしたアウトプットの練習をするとき、どうしても重要な定義や判例がアウトプットできない場合に戻る場所が、まとめたノートです。ここはきちんと記憶してないと答案が書けないと思うと、ノートに戻るわけです。

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かく言う私自身も、最初は丸暗記の勉強をしていました。でもそれが多少なりとも通用したのはロースクールに入学するまで。ロースクールには上位の成績で入ったはずなのに、講義で教授に指名されると答えられないし、内容についていけない。周囲の若い学生に後れをとっていると焦りました。自分には、腰痛や緑内障の持病もある……。涙ながらに、何度も福岡に帰ろうかと本気で思いました。