村田さんが所属した慶應義塾大学端艇部が持つ長い歴史の中でも、ひと際輝きを放ったのが1989年だった。チームが強くなるとき、独特の空気を持つようになると言う。当時まだ2軍にも入れなかった村田さんにとっても、強烈なインパクトだった。(2023年9月4日レター)

新米社長の身で僭越ではあるが、「リーダーシップとは何か。リーダーはどうあるべきか」を4回にわたってお話ししてみたい。自分らしいリーダーシップを模索している方々にとって、少しでもヒントになれば幸いだ。

今回は「どうすれば勝てるチームになるか」について。さっそく本題とも言えるテーマだが、自分なりの経験則がある。

自分は大学時代、体育会ボート部で4年間を過ごした。ボートの世界には、団体スポーツの極みを表す「一艇(いってい)ありて一人(ひとり)なし」という言葉がある。「どんなに苦しくても動きを一つにし、心を一つに、一丸となる」という意味で使われている。

春の本格シーズン前に正式クルーが決まるまで、基礎体力を地道に鍛え、技術を磨くなどして事前準備を積み重ねる。自分が乗る艇がいったん決まれば、1軍でも3軍でもその一艇をいかに前に、0.1秒でも速く進ませられるのかを各自が考えぬいて、ただ艇を速く進めることに全力を尽くす。その心構えを説いた言葉でもある。

自分が2年生の夏のとき、所属していた慶應義塾大学は1軍が全日本インカレ、2軍がオッ盾(オックスフォード盾レガッタ)という主要2大会で優勝した。「エイト」と呼ばれる種目で、漕手8人と舵取り、ペース配分などを指示するCOX1人が乗る。乗員数がもっとも多いためにスピードも速く、「ボートの華」とも呼ばれる。優勝クルーには自分の同期生があわせて6人もいて、3軍以下でこのクルーに入れなかった自分にとっては、とくに悔しかったシーズンだ。

当初、この年のチームはばらばらに映った。ところが、試合が近づくと集中力が一気に高まり、まさに水上での動きと心が一つになっていた。不思議なもので、個別の課題やトラブルを解決する力さえ、向上したかのように見えた。団結力が高まると、個々のメンバーも自信や勇気にあふれ、チームとしての充実した空気感がさらに醸成されていく。勝利に向かって全員の意識、行動が一致していく変化を目の当たりにしたシーズンだった。ところが、その逆も経験することになる。

優勝した翌年、自分は3年生になっていたが、まだ2軍クルーから抜け出せなかった。チームは昨年の優勝校だったので、下馬評では「かなり強い」とされているなか、1軍はクルー同士の仲は良かったのだが、自分にはチーム全体としてはばらばらに見えた。前年と比べ、勝つために一つにまとまり切れないと感じていた。案の定、結果は惨敗だった。

「天と地」とも言える2年間で、自分はボート競技の面白さと難しさ、勝てるチームとそうでないチームの違いを学んだ。

勝てるチーム、負けるチームの差は、「タレントが揃っているか」だけではない。むしろ、チームのベクトルが一つになっているか、団結力があるかにかかっている。勝つためのリーダーシップは、全員の方向性を一つに合わせる努力、これに尽きる。一つになれないチームは、意識面よりむしろ行動面で「一艇ありて一人なし」を徹底できない。一人一人が自分の役割をはたさない、あるいは自分の役割がわからない状態、と言えるのではないか。

皆様にも共感していただけるはずだが、組織にはさまざまな考え方の人がいる。おさえつけるのではなく、個性を生かす世の中の流れもあり、なおさら方向性はバラバラになりやすい。時には異を唱えるメンバーと対話をしながら、一つの方向性にまとめていくことが、現代のリーダーにもとめられる仕事ではないか。

まったくエリート選手ではなく、3年生になっても1軍に上がれなかった自分だが、4年生が引退した3年生の秋、新主将に大抜擢される。次回は、苦い経験もふくめ、その1年のことを話してみたい。

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