大ヒットを生むカリスマ的な社員や、圧倒的な売り上げを上げる営業パーソンがいない……と嘆いてはいませんか?「重要なのは、社員一人ひとりが“考えて行動すること”」と、霧島酒造・江夏社長は話します。では、どのようにすれば社員たちは、自ら考えて行動してくれるのか――。「黒霧島」を生んだ霧島酒造の江夏社長が教えます。(2023年7月3日レター)

霧島酒造はおかげさまで2021年も焼酎業界で売上日本一に輝きました。私たちが日本一になったのは2012年から。これで10年連続です。いまでこそ全国の焼酎ファンに認知される会社になったと胸を張れますが、実は私が社長に就任した1996年当時は、宮崎県の中小酒蔵の一つにぎませんでした。本社や工場があるのは、人口18万人に満たない宮崎県都城市。業界8位、売上高は約80億円でトップとは5倍以上の開きがありました。そこから躍進して、売上高600億円企業へと成長したのです。

飛躍のきっかけになったのは、1998年に発売を開始した芋焼酎「黒霧島」でした。芋焼酎を好むお客様は芋特有の香りを楽しまれますが、一方でそれが「くさい」「飲みにくい」というイメージにつながり、敬遠する消費者の方も多かった。その壁を乗り越えたのが「黒霧島」です。芋の甘味を残しつつすっきりした味わいで、新たなファンを獲得。全国的にヒットして、世の中の芋焼酎に対するイメージまでも変えてしまいました。

地方の小さな酒蔵から、どうして業界の勢力図をひっくり返すメガヒット商品が生まれたのか。当時、我が社に突出した才能を持った技術者やマーケターがいたわけではありません。ただ、一人ひとりが力を発揮して、チームとして力を最大化できる土壌はありました。その土壌が日本で一番売れている焼酎を生み出したのです。

では、小さなチームがヒットを生む土壌をいかにしてつくったのか。発端のひとつに、私が社長になってすぐに制定した「考動指針」があげられます。霧島酒造の創業は1916年です。創業家である江夏家には家訓がありましたが、会社の理念や方針のように社員に共有することはありませんでした。二代目である私の父は、焼酎工場の設備開発から営業戦略、味わいの決定まで自らが行うような経営者でした。当然、経営者としての理念や方針を持っていましたが、典型的なワンマン経営で、頭の中にあるものを言葉にして社員と密に共有する人ではありませんでした。その父が96年に急逝。急遽、社長になった私が最初に取り組んだのが、企業理念の制定でした。

その中で、「社員たちにはこういう姿勢で仕事に向かい合って欲しい」という思いを込めてつくったのが5つの「考動指針」です。母には「漢字が間違っとるよ」と指摘されましたが、「行動」ではなく「考動」にしたのはもちろん意図的です。指針をつくっても、上から押しつけられたルールとしてとらえられたらチームは動きません。自ら考えて動いてほしくて、あえて「考動」としました。

考動指針は「夢がなくては始まらない」「会社の主役は“私”です」「やり過ぎくらいがちょうどいい」「マネするだけじゃつまらない」「楽しくなくては始まらない」の5つです。驚いたことに、これを定めた後、社員は会議の前に毎回この考動指針を唱和するようになりました。強制したわけではなく、まさに自ら考えて唱和を始めてくれたのです。社員も働くモチベーションとなる“軸”がほしかったのでしょう。人事評価の中に「考動指針に則った仕事ができているか?」という項目を組み込んだこともあって、徐々に組織に浸透していきました。

「黒霧島」のヒットは、チームがこれらの考動指針に基づいて動いたことが大きい。一例をあげましょう。「黒霧島」を地元宮崎で試験販売して手ごたえを得た私たちは、2001年、九州最大の市場、福岡に打って出ることにしました。福岡を攻めたのは12人の営業チームです。しかし、福岡は日本酒の町。焼酎を飲むとしても麦が中心で、芋焼酎は見向きもされませんでした。

そこで考えられたのが「朝のサンプル配布」作戦です。無料サンプルを朝の博多駅や天神駅で配ったことが話題になりました。お酒のサンプルは会社から自宅に帰る夕方に配るのが常識でしたが、職場で話のネタにしてもらおうと朝に配ったのです。

これらは考動指針「マネするだけじゃつまらない」が営業チームに根づいていたからこそ生まれたアイデアでした。奇襲作戦でしたが、効果は大きく、福岡では「黒霧島」を置いてくれる飲食店や酒販店が増加。全国展開に向けて弾みがつきました。

もちろん一人ひとりがオリジナリティ溢れるアイデアを持っていたとしても、リーダーが前例踏襲型だとメンバーは提案しづらいものです。リーダー自らが「マネするだけじゃつまらない」を実践してチームを引っ張ると、よりユニークなアイデアが出てくるのではないでしょうか。

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