斜陽の老舗企業をどう立て直すか。3代目社長の急逝にともない、会社を継いだ長岡社長は「社員が1つのチームになって、生き生きと力を発揮してくれれば、絶対に成果は出せる」と話します。専業主婦だった新米社長がベテラン社員をまとめて、赤字経営だった会社をV字回復させた方法とは――。(2023年12月4日レター)

アナログレコードがブームの兆しを見せ、レコード針に注目をいただくことが増えました。現在、ナガオカのレコード針(ダイヤモンド接合針)は世界シェアの9割を占めています。というとまるで超優良企業のようですが、CDの普及とともにレコード針やアナログレコード関連製品の売り上げだけでは会社の存続が危うくなりました。レコード産業は時代の移り変わりによって、衰退を余儀なくされている典型的な斜陽産業です。

ナガオカの創業は1940年。福沢諭吉から直接、薫陶を受けた初代長岡榮太郎が東京都豊島区に「長岡時計用部品製作所」を設立。ルビーやサファイヤを加工して時計の軸受け石をつくる事業を始めました。やがて硬石の加工技術を生かしてレコード針の生産を開始。60年代にダイヤモンドを先端に接合した「長岡式ダイヤモンド接合針」を開発したところ大ヒット。世界に市場を拡げ、会社は急成長しました。

レコード針で一世を風靡したナガオカでしたが、80年代に入ってCDが普及すると需要は激減、2代目の代で1989年に黒字清算を行いました。これにより会社規模を10分の1に縮小し、事業を3つに分社。1991年以降、20年以上にわたり事業の存続を図りました。その後を継いだのが、3代目社長(私の夫)でした。

3代目社長は大量に返品されたレコード針に囲まれながらも、会社存続のために奮闘していました。ところがある日突然、会社で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。私はあまりのショックにしばらく寝込んでしまいました。

もちろん会社も大混乱。代表者不在では会社は回りません。誰もが長岡家から次の跡継ぎが決まるのを待っていました。ところが、次の社長がなかなか決まりません。正式に引き継ぐ人が決まるまで、ひとまず古参の役員が社長を務めることになりました。

3代目社長は生前、世の中小企業の経営者の方々の多くがそうであるように、事業資金捻出のため銀行から巨額の借り入れをする際、連帯保証人となっていました。会社が潰れたら、家族は路頭に迷ってしまいます。そのような切迫した事態に私は「ナガオカは私が守るしかない」と腹を決め、4代目を引き受けることにしたのです。

子育てと習いごとの平和な毎日を送っていた専業主婦による事業承継を、誰もが無謀だと思ったことでしょう。しかし背に腹は変えられません。それに私はいたってポジティブな性格。本気で物事に取り組めばなんとかなる! そんな「根拠のない自信」もありました。そして2014年、沈みゆく船の船長になったつもりでナガオカに入社したのです。

最初に会社から渡された名刺の肩書は「会長」。その日から会社の取引先や現場に視察に赴き、会社を立て直す日々が始まったのです。

世に出ている経営本を片っ端から読み漁り、経営者向けのセミナーや講演会があれば参加しました。出身大学の経営者会に参加し、起業で成功した大学の同窓生には、経営者の心得などを請いました。こうした猛勉強からわかったことはいくつもありますが、最も大きな学びは会社にとって大事な財産は「人」だということです。

社員が1つのチームになって、生き生きと力を発揮してくれれば、絶対に成果は出せる。逆に、社長のひとり相撲では会社は回らない。組織が前向きに動ける環境を作ることが、トップの役割だということがわかってきたのです。

そこから私が行ったのは、会社の価値と強みを見つけて、それを社員全員と共有すること。その結果、翌年には赤字から黒字に転換。年々右肩上がりに売り上げを伸ばし、9年間で年商を3倍まで伸ばすことに成功したのです。この連載を通じて、未経験者であり女性の新米社長が、会社をどのように変えてきたかという、私の方法をお伝えしていきたいと思います。

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